2002年5月3日憲法集会

社会民主党党首 土井 たか子

この日比谷公会堂は、私はいくたびきたか数えきれないくらいですが、昨年、私はここに立ちまして、会場の皆様にこれほどたくさんの皆様がこの公会堂にご参集いただいたののは、後にも先にも初めてと申し上げました。ところが、今年は、去年よりもう一つたくさんの皆様がここに来てくださっています。それで私は感動しているわけです。皆さんと気持ちを通わせながら、非常に大事な、これからお互いの生き方そのものが、どちらの方向をめざすかということが正面きって問いただされている時だけに、決意を込めて申し上げさせていただきたいと思います。

戦争の準備をすれば、戦争になる。平和への努力をすれば平和がやってくる。非常に簡単ですけれども、これはまことに事実に即応した言葉だと思います。つくづくこの言葉の重みというか、味わいというのを最近は感じているわけでして、長い間の人類の歴史始まっていらい、無くしていくべきは戦争だという気持ちがどんどん強いわけです。

平和にたいしてのあこがれはやがて平和思想になり、平和思想はいろいろな形で具体化をしていくときに、約束事をつくったり、お互いの取り交わしをしたり、それから誓をたてたり、やがては法律をそのためにつくったり、条約をつくったりしてまいりましたけれども、もっとも国の政治にとって基本法である、そして最高法規である憲法に戦争をしないという憲法をもつにいたりました。これが私たちなんです。私たち日本の憲法がそうなんです。そして、私たちが国内で考えている以上に、国際的には、この日本国憲法第九条の存在が、羨ましい存在であり、お互いがその中身を生かしていくことにたいして、協力しあわなければならないということを喚起する条文にもなっています。

たとえば、二一世紀の入り口に立った二〇〇〇年五月、ニューヨークの国連本部、ミレニアム・フォーラムで、平和・安全保障・軍縮の部会最終報告書を見ますと、「すべての国が、その憲法において、日本国憲法第九条に表現されている戦争放棄原則を採択することを提案する」となっているのです。ニューヨークの国連本部での出来事です。この年の前年である一九九九年五月、オランダのハーグで、ハーグ平和アピール市民会議がございました。この会場らいらしゃって皆さんからも、五月、ちょうど風薫るよい季節でございましたが、この憲法記念日を日本できちっとつとめたうえで参加しましたとおっしゃる方々がいらっしゃいました。私はハーグでお目にかかりました。その場所で、憲法第九条についしての話をしてほしいと言われて、わずかの時間でしたが、私はそこで話をする機会をもたせていただいたのです。たくさんの日本からいらした方々が発言をしてくださいました。

そうして、いよいよ、このハーグでもたれました、世界中から七百を超えるNGOの皆様方を前にして、会議のハイライト、これは「公正な世界秩序のための十の基本原則」を決める場面になったんです。十のはじまり、トップに出てきたのは、「各国議会は日本国憲法第九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」となったんです。じつはこのオランダのハーグでおこなわれました世界会議が記念すべき会議でして、一九九九年の百年前、一八九九年、ところはオランダのハーグで世界の軍縮を考える平和国際会議が初めておこなわれたのです。その場所に、日本の外務省の年若い外交官が出席をして、そしてこの軍縮のもつ意義がどれほど人類社会にとって大事なものかということをしっかり体得した気持ちになって日本に帰ってまいりました。その人は後に内閣総理大臣になり、いまの日本国憲法第九条は、じつはその人があってできたといわれる幣原喜重郎さんです。したがって、一九九九年五月のオランダのハーグでの会議に私は出席をしながら、百年前のこの場所です、ということをそこでしきりに思ったわけです。

さて、みなさん。

世界から羨まれている、いろいろな国際会議の場面で取り上げられて憲法第九条を私たちもと思われる方が多いその九条が、いま危ないです。今日、この会場においでになった皆様も、そのことを心配し、おもんばかって、今日は何をさておいても日比谷公会堂へと思われたに違いない方がいらっしゃる。

それはいうまでもありません。有事法制三法ですけれども。すでに小泉内閣から国会に出されております。そしてこの連休明けには、審議に入ろうという与党側は算段です。ずい分、自衛隊がつくられて長いですけれども、「有事」ということに関して、具体的な研究というのは、有名なところは「三矢計画」六三年ですね。世の中であっとお互いが知って驚いたのは六五年です。予算委員会の場所で当時、岡田春夫さんがこれを具体的に質問の中でとりあげて、そして防衛庁の方もこの中身をはっきり表に出されてしまったので、やりくにいということで、後は沙汰止みになったのが「三矢計画」の中身です。

七七年になってまた、この有事法制の研究というのが行われておりますが、その都度「研究ですよ。法制度にこれはするわけにはいかない。憲法の九条がある国であるかぎり、これは法制化することは難しい」ということを研究の前提として考えながらやったというのがいままでの有事研究だったのですね。今回は突破しました。研究ではなくて、法律にしたいと出してきた。

中身は皆さんご存知のとおりです。「有事」というのは、『広辞苑』をひいてみますと、「戦争や事変などの非常の事態が起こること」と出ています。なかには、「有事って土井さん、大震災も入るんでしょ。大火災も入るんでしょ。噴火も入るんでしょ」とおっしゃる方もいらっしゃいますけれども、この「有事」はまさしく戦争や事変などを指しているわけです。「有事法制」というのは、かんたんに一言で言ったら「戦時法制」なのです。

ただしかし、不思議に思われてならないのは、なぜいまこんな戦時法制が必要かという問題ですよ。これは、わかりません。本当にわからない。日本を侵略しそうな国はない。日本政府は誰と戦争をしようとしているかわからない。しかも、この有事というのは、日本が攻められるということを誰しも戦時といわれたら連想するわけですが、今度の法案の中身を見ているとそればかりと言っていられないんです。日本が攻められてもいないけれども、「おそれがある」というのも入ってしまう。もっと広く「予測することができる」というのが入ってしまう。誰が「おそれ」を判断するか、誰が「予測される」ということを判断するか、内閣総理大臣でございます。最終判断はそうなるわけです。

したがって、中には、皆さんの中にもいらっしゃるかもしれないと思いますが、日本の領土や領空や領海を守るために、「私は自衛隊は必要だと思います」とおっしゃる方はかなりいらっしゃると思います。けれども、国の外にでかけていって、海外にまで出動することになったら話は違います。「私は国土防衛、専守防衛ということで必要だと思うけれども、海外に出動するなら反対です」とおっしゃる方はかなり多いと思います。

けれども皆さん、すでに周辺事態法という法律、これはもともとは日米安保条約にともなって新ガイドラインを日米間で約束をして、それを実行するためにつくられた法律ですけれども、この法律によって、日本は米軍の軍事行動の後方支援という形で海外に出ていかなければならなくなっています。しかし、周辺事態法というのは、「周辺」ですから、日本のまわりだろうと、だいたい誰でも思うのですが、どうも「地理的条件ではない」と政府が言われますからややこしくなるのです。でも、「だいたいどのあたりを考えるかをはっきりさせてください。インド洋は入りますか」、「それは無理です。インド洋までは考えておりません」。政府は周辺事態法を問題にしたときにはそう答えていたのですが、昨年の九月十一日以後、例の対テロ特措法という法律で、アメリカが戦争だ、報復することが必要だ、従ってこれには武力を行使する、戦争を行う、そうしたら小泉さんも同じことですよ。言われることは別なことは言われませんから、絶対に。「戦争だ。報復が必要だ。日本は協力いたします」とつくられたのが対テロ特措法ですね。インド洋まで考えておりませんというインド洋に、海上自衛隊さっさと行ってしまったですよ。

最近は防衛庁長官が中国行きの予定が中国の方から受け入れ延期といわれて、「それじゃ」ということでインド洋に行って来る。したがって、際限がないです、これ。「有事」ということ、それは日本の領土、領空、領海にかぎるという思っていたら、どうやら周辺事態法や対テロ特措法などのややこしい話がございまして、だんだんだんだん、自衛隊の行動というものの中身が広がっていくわけですよ。

そして、有事法制の中身というのは、その自衛隊の行動を円滑にするというのがまず第一の問題ですから、真っ先の問題ですから、そのことのために種々決められている中身を見ると、とてもいまの憲法からは考えられない中身がございます。地方自治体にたいしては、言うことを聴かなかったら、指示をしたことについて、そのとおりにやってもらえないということになったら、内閣総理大臣か担当の大臣が代執行します。これは地方自治体の「自治」ということにたいしてまるで無視されるような形になりますね。それから自衛隊法の中身をみますと「立ち入り検査」、物資の保管命令にイヤだという人は処罰をうけます。違反する人は処罰の対象になる。罰則を用意して、強引にそれを強行するという国の姿勢です。政府の姿勢です。

だから人権よりも国、自治体よりも政府。これは政府、内閣が実権をもって、それを行使することが当たり前のこととしてここに出てきているわけです。これは平時でもこうなると思います、きっと。突然、有事のときだけそうじゃないのであって、「備えあれば憂いなし」というのは、常日頃が大事と言われる小泉さんですからね。したがって、平時が有事の取扱いということが出てくる格好になるのではないですか。

いま、個人情報保護法というのが、国会にまたこれ出ておりますが、これも個々人の情報を保護することよりも大事なのは、その情報というのを担当の各省が管理する、いってみれば、大きな目でみたときに国家統制のようなかっこうになりますよ。したがって、管理される、取り締まられるということがどんどん出てくるわけです。

憲法からすると、これはまるで違うのではないでしょうか。憲法は国民に対して義務を科しているのではない。政府や為政者、権力者に対して義務を科しているわけです。少なくとも九九条を見た場合、内閣総理大臣や閣僚や国会議員は、憲法尊重擁護の義務がある。憲法をまず尊重する、この憲法を守るためにまず努力する、それが義務として九九条でしっかり決められているのですけれども、そんな九九条なんて読んで「私わかっております」というような人は一人もなかろうと思われるような最近は有様でございます。むしろ憲法を無視して、どんどんやった者勝ちのようなやり方が強まっている昨今ではないでしょうか。

私は今度の有事法制というのが、もしも万が一実現したなら、憲法に対して、憲法の改正手続きを決めているのは九六条ですが、九六条の手続きをとらなくても事実上憲法は、いまの憲法は消えてなくなると思いますよ。そして作り変えられて、実際問題は、それが強い力をもって動き始めるという形になると思います。少なくとも憲法を変えたいと思う人たちは、改憲の手続きを考えなくてはならない。それもひどい話で、いま憲法調査推進議員連盟というのがあって、その中で考えられていますのは、憲法九六条からしますと、衆議院の三分の二、参議院の三分の二が賛成しないと憲法の改正は発議できませんね。ところが国会法を変えて、衆議院は百人、参議院は五十人が賛成すれば、憲法に対しての改正が発議できるというふうにしていこうではないかという案が出ています。国民投票ということを考えて憲法にたいしての国民投票、これも法律で決めなければならない、○×方式で過半数が賛成のときにここで国民の承認があったと考えなければならない。これ、言っていることムチャクチャだと私思いますよ。九六条の手続きがきちんと憲法で定められていることをまるで無視してかかってこういう案を出すわけですから。したがって、この問題についていうなら、憲法を停止するような形になると思います。

しかし、国民投票を無視できない。誰がいったい国民がこの憲法の改正については改正権をもっているということを意識せざるをえないのです。これは。はっきりこの点は意識せざるをえないのです。憲法を変えるのは政府の権限ではありません。国会の権限でもありません。ましてや内閣総理大臣の権限ではないのです。いまの内閣総理大臣は、むしろ平和勢力や平和政策にたいしての抵抗勢力そのものだと私は思っております。したがって、改正権をもっている国民一人ひとりなのですから、皆さんお一人おひとりが、いまの有事法制にたいしてどういう対応を考えられるかということが非常に大事だと思います。すくなくとも、有事法制の前に備えたるものは、戦争をいかにして起こさないような状況をつくることに誠心誠意努力することこそ、備えなのではないでしょうか。

それを思うと、昨今、鈴木宗男さんがまた問題になっています。ムネオ・ハウスが問題になっています。秘書さんが逮捕されたことがニュースにのっております。私は、鈴木宗男さんも鈴木宗男さんだけど、外務省も外務省だと思っています。外務省の方から調査報告というのが衆議院の予算委員会に出されましたけれども、しかしこの調査というのも、なんだか外務省が被害者みたいな認識ではないでしょうか。被害調査報告書のような中身ですよ。でもね、少なくとも宗男さんに振り回されて、鈴木宗男さんの言うことを聞いて、そして唯々諾々といままでやってきたという状況をみますと、これで堂々と平和外交をできるはずはないと思いますね。本当に大事なのは、日本の場合には、平和外交というものにたいしてしっかり取り組むことだろうと思っています。

いよいよ連休明けになりますと、審議に始まるといわれている場所には、社民党が数が多いともっともっとこれは発言力も強いのにと、これくらい悔しいことはないのですが、野党が力を合わせて、鈴木宗男さんにたいして議員辞職勧告決議案、これを出したところが議院運営委員会で握りつぶして本会議にもかけなかったという問題をやり直すと、それからしっかり証人として事実について述べるという再喚問、これを具体的にすることが、まずはエリを正すという中身になろうと、そういう問題がいま景気が非常に悪いままでしょ。そして互いの失業者は増えていくばかりです。先の見通しは暗い、こういう問題こそお互いの暮らしにとって有事だといわなければならないのではでしょうか。こういう問題をこっちに置いて、あわてふためいてただいま有事法制ではないということをはっきり認識して私ども政治の場所に廃案をめざしてがんばりたいと思っています。

どうか皆さんにおかれましても、五月三日だけが憲法の日ではございません。三六五日が憲法の日です。そして国民が主権者であるという中身を具体的にしていただくのは「不断の努力」だろうと思います。力を合わせてがんばります決意を述べて終わらせていただきます。

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