2001年5月3日憲法集会

社会民主党党首 土井 たか子

みなさまこんにちは。土井たか子でございます。私はこの日比谷公会堂にいくたびかお邪魔をした経験をいままでもっておりますけれども、今日のようにいっぱいで、そして立っていらっしゃる皆さんが身動きできないくらいというこの公会堂を始めてみました。本当に嬉しいです。感激で胸が熱くなる思いがします。

私は、国会に出るときに「憲法を政治に生かす」ということを約束し、それを私のモットーとして送っていただいた。もう三十二年たちます。早いものです。しかしその間、まさか本会議場の席に座っていて、あの演壇で、私が尊敬している兵庫県出身の斎藤隆夫さんが生命がけの演説をされた場面を思い起こすことになろうとは思いませんでした。その時の斎藤さんは命がけで、必死の思いをこめての大演説で、今でも名演説として反軍演説は残っておりますけれども、しかし、その時の議場の雰囲気はどうだったのだろう、だんだんいまの衆議院の本会議場はその時の空気に近づいていっているのではないか。だんだん、だんだんそういう空気になりつつあるのではないか、本当にじりじり思うことが、このところは毎回のようになってきました。

皆さん、とくに年配の方はご存知だと思いますけれども、反軍演説と一口にいいますが、斎藤さんの名演説として残っているのは、大きくいうと二つあるようです。一回目は昭和十一年(一九三六年)だと思います。二回目は昭和十五年(一九四〇年)だと思います。後の一九四〇年の演説になりますと、悲壮な中身であります。肝心のところは当時の議長によってずいぶん削除されていますから、公式の文書として残ってはおりません。ただ、斎藤さんご自身の原稿の中に、いまもその部分は残っている。読んでみると、当時の軍部がおさえていた議会で、これだけ勇気をもって命がけで演壇に立った演説があったのだということは、私たちに勇気を与えてくれますし、こういう人たちがある限りは、日本は必ず救われるという思いにもなるわけですけれども、しかしそういう状況にしたのでは、せっかくの今まで頑張ってくれた人たちにたいし、しっかり答えることにならないと私は思うのであります。

実は、斎藤さんについていうならば、もともと戦争にたいして反戦主義をつらぬいた人ではない。平和主義ということを身をもって実行した人でもない。すべての精力をそそいだのは人権問題なんです。当時の男性の中では珍しいくらい女性を大事にした人です。お年よりを大事にした人、障害者を大事にした人です。また子どもを大事に大事にした人です。全精力をそそいだのは人権問題だつたという記録がずいぶん残っております。

私はつらつら思うに、人権主義というのは、ただいまもそうであり、昨日もそうです、明日もそうです、全て人権主義は必ず本質的に反戦主義に結びつくものだと私は思っています。だから人を粗末にする人が戦争にたいして徹底的に反対をする、平和憲法を尊重するということにはなりません。私女性なものですから、男性のなかにいまだに女性を粗末にする人があります。女性に対しては蔑視をしている人があります。バカにしている人たちがあります。だいたいのところ総じて言うと、ただいま改憲をもくろんでいる男性のなかにはその傾向が強い。そういうことを考えてまいりますと、いまお互いのあいだで基本的人権尊重という問題は、切っても切れない中身として「平和なくして人権なし」とか、「平和なくして暮らしなし」とか、「平和なくして福祉なし」とか言われる中身そのものであると、日常の生活で気がつくことがよくありますよね。

これは本当に大事な問題だと私は思うのです。今、改憲の焦点は第九条にあるとよく言われておりますし、現に衆議院、参議院の憲法調査会では論点の中心はどこにあるかと言ったら、憲法第九条と前文の部分と申し上げて過言ではありません。しかしながら、そこだけの話ではないので、総じて人権のところが問題になるのではないでしょうか。もっと言うと、憲法にたいして最も尊重擁護の義務をきちっと決めている九九条にたいして、無感覚であり、無認識であり、無神経である人が改憲を言うわけですから。したがっておそらく基本的人権の尊重というのは権利が多すぎると、義務をもっと考えなければならないという視点が出てくるのは、やはり根は一つだと私はいつも思って聞いているわけです。

だいたい九九条から考えても、この憲法自身が決めていることは、権力側に立つ人たちにたいして「心して人権を尊重しなさい。この憲法が決めていることを尊重しなさい、擁護しなさい。守って実行しなさい」ということを言っているわけでしょ。すなわちこれは為政者の義務なんです。権力の側に立っている人たちの義務なんです。その人が自らの義務を怠って国民の皆さんにたいして義務を強制するなどというのは、反憲法もはなはだしいものがあると私は言わなければならないと思います。

ところで、いまの第九条、とくに戦争放棄をしている部分が、これを崩そうという人たちの手によってだんだん怪しげになっていっているといわれる。しかし、私、そういう状況はある日突然になるのではないと思います。なぜ、私が最初に斎藤隆夫さんのことを言ったかというと、反軍演説のなかで、いつも本会議場で思い起こすある個所があるからです。そのある個所というのは、どういうことが言われているかというと、「一寸にして断つことができなければ、尺の恨みあり。尺にして断つことができなければ丈の恨みあり。一木といえども若木のときに切るのは容易だけれど、地中にばんとして根を張って大木になればこれを切り倒すことは容易ではない」と言われているのです。つまり、問題はある日ニョキーという大きな大木ができあがるのではないのであって、刻々これは進行していくわけです。まだだ、まだだと思っている間にとうとう手がつけられないくらい、もうあきらめる以外にないという状況になってしまう。手遅れになる。そうなったときに立ち上がっても遅いのですよと言われているわけです。日々刻々おたがいが気がついたときにどうするかということしっかり対応しないと、外堀は埋められ、内堀は埋められて気がついたときには本丸に火がついているありさまになるということだと思います。

盗聴法の問題も、住民基本台帳法も改正と称していますが、中身からすると人権にたいしてはずいぶん後ろ向きになってしまった。そしてただいまは、規制緩和と称して、リストラがしきりに経済の活性化ということで奨励されること。これ、リストラリストラと聞こえは、横文字で言われたらごまかされますが、首切りですわ。そういう問題のなかでどういうふうなことなのか。私はやはり、強い者が弱い者を抑え、権力側がその強い立場に立って、弱い者にたいしてかえりみず犠牲を強いるという中身に全部なっていっていますよ。こういうことがずーっと進行してごらんなさい。やっぱり、いろいろな紛争事やそれから国際的に思わしくない状況を解決することも、人道から考えて、お互いはあくまで人のしたことだから人の話し合いによって解決しようという常道とか冷静な判断を失います。武力を使ったら早手にできるじゃないかとか、だからこそ戦力を常備して強いものをもっていないと安心できないという言い方が横行するんですよね。

しかし最近は、非常にこれもまた巧妙にことが進んでいると思います。いま、小泉さんは改憲をあれこれ言われておりますけれども、第一、九九条をもう一度始から勉強をし直すことが必要だと私は申し上げたいと思っています。それと同時に、皆さんの中には政治が閉塞状況になると首相公選で、私たちが直接首相を選んだ方がいいんじゃないのとお思いになっておられる方も多いと思われているのでしょう。首相公選というその点だけで改憲をしたらどうかといわれる。

冗談ではありません。その点だけをといっても、その一箇所だけを改憲して首相公選が成り立つはずのものではありません。これは言ってみれば、あっちもこっちも憲法の中心部分の基本的なところに全部手をいれないとできませんよ。要は、首相公選ということに主眼があるのではなくて、憲法を変えるということがこの問題の眼目だということを、ごまかされずにしつかり見てとるべきだと思います。これが実現されたときには、遅かったといってももうそれは間に合わない。国会の最高機関性というのは、皆さんの直接投票によって選ばれる、しかも前文の真っ先に書いてある「すべて国民は正当に選挙された国会における代表者をつうじて行動する」となっているその問題をしっかり受けて最高機関性が保障されているわけでしょう。これがもはやにぎりつぶされますよ。

そして国政は、いま政党政治です。したがって残念ながら自民党が比較第一党であるかぎりは、自民党から内閣総理大臣候補者を出すわけです。したがって国会が生みの親とはいえ、数がたくさんある方がバックになって総理大臣をつくる。議院内閣制の中身です。だから総理大臣が強い権限をもってしっかりと国政にあたらなければならない、しかしながら、暴走するときにはこのバックがあるということが非常に大事な問題なんです。

そのバックがない場合、選ばれた総理のバックになっているのが、あったとはいえ小さな政党一つだったと言う場合にはどうなります。暴走しないという保障はどこにもありませんよ。独断専行ということがないという保障はどこにもないですよ。独裁的な政治になる。「イヤそんなことはないでしょう」なんていう保障は本当にないですよ。そういうことを考えたら、私は首相公選制というのは非常に甘いつり道具であって、もっていかれるところはどういうことかといったら、本当に皆さんが望まれるような政治ではなく、いままで議院内閣制をコケにし、中身をゆがめてきた自民党の政治責任を正すことさえ反故にして、そうして隠してこういう問題にいま持っていこうとしていることに私たちはごまかされないということをはっきりすべきだと思います。

守るだけでなく育てていくということを、さきほど加藤先生おっしゃいました。私もそのとおりと思います。最後に申し上げたいのは、昨日、私ども社会民主党は「二十一世紀の平和構想」を公表いたしました。その中で大事な眼目は憲法第九条のもとで日本国は非核不戦国家宣言をしっかりしましょうというものです。いうまでもなく、日本国憲法は国内法ですから、これを国際的に広げていくという努力を、まもるだけでなくやっていかなければならない。そのためには、非核不戦国家宣言というのを政府にさせる。同時に国会も決議する。それを踏まえて国連に対して日本の非核不戦国家の地位というものしっかり保障することを具体的にしましょうという中身です。この北方アジアという地域において、努力していきたいと思います。

そのためにも、皆さんといっしょに立ち上がって、この夏の参議院選挙、私は自分の党にこだわりません。憲法をしっかり尊重して、これを生かしていくという政治勢力を三分の一以上にしようではないですか。このことを皆さんと一緒に頑張りたいという決意を申し上げて終わりにします。

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