2001年5月3日憲法集会

作家 澤地 久枝

みなさんこんにちは。そしておめでとうございます。こんなにいっぱい人が集まる、入れなくて外に千人をこす人がいらっしゃるという、こんなに嬉しいことがあるでしょうか。おたがいに喜びたいと思います。もしこれが、連休の中だし、寒くて雨が降っているということで、会場の三〇%とか五〇%の人しか集まらなかったら、憲法を変えようとしている、あるいはそれ以上にさまざまな悪しき政治をやろうとしている人たちにとっては、まったく思うつぼだったと思います。でも、イヤなこと、よくないと思うことにたいしては、反対である、ダメであるということをきちっと言っていくことには力があると思うのです。だから私たちは、きょうここに集まったことで一つの力を示したと思います。私は嬉しいし、本当に喜ばしいと思います。

二年と五〇日――私の六七歳から六九歳までの時間になりますが、沖縄の琉球大学でもぐり聴講をしました。きょう着ている着物も帯の紅型です。私はショーウインドウになろうと思っているのです。

皆さんご承知の国際通りに、喜納昌吉さんのライブハウスがあります。彼の持ち歌の一つに「花」というのがありますね。そのライブハウスを聞きにいきましたら、派手なジャンパーを着て歌っているのですが、ぱっと背中を向けると「すべての武器を楽器に」と書いてあります。私はやはり、「武器はいらない」、陸海空あらゆる意味の戦力を放棄した平和憲法、とくに九条というものは、私たちにとって、あの戦争を通して手にし得た唯一の財産ではないかと思います。これをいまむざむざと奪われてなるものか、変えられてなるものか、と思っています。けれども若い琉大の学生の話です。たとえば、いままでの民族国家というものは変わって、次第に国境というものの境が低くなって、世界というか地球というものが一つになっていく時代がきたということを教授が話をされる。そしたら大学院の学生が、「それは大東亜共栄圏の考えと重なるでしょうか」と聞いたのですね。ほかの学生たちはちょつとあ然としたのですね。つまり小林某のマンガかなにか知りませんが、そういうものを読んでいると、そういう学生もできてしまう。

私は、沖縄でいい体験をしました。沖縄では一九九五年に小学生が米兵によって性的な暴力を受けるという事件がありましたし、最近になって、今度はそれと同じことを自衛隊員がやっているという問題がおきています。飛行機の爆音で授業中も声を大きくしなければ授業の声が聞こえないような普天間基地のある宜野湾市に大学がありますし、住んでもいましたから、基地のすごさというものはわずかな滞在日数でもわかりました。沖縄問題の根本解決は、米軍基地が沖縄から無くなる以外にはないですよね。

日本政府、ないしは日本政府だけではなくて、その政策をささえている、残念ながら多くの文化人(もの書きを含めますけれども)や経済人もそうです。その人たちは、これからの日本の進路、二十一世紀の日本のあり方としては、アメリカとの関係をより緊密にしていくと言っています。だけどアメリカという国はいいこともしますけれどもしょっ中間違えている。たとえばベトナム戦争、あるいは湾岸戦争その他です。誤謬をおこさないという根拠はないと思います。

日本という国が、日本の政治家の間違えで、たとえば日本人が戦争に巻き込まれるということだけではなくて、日米安保条約というあの軍事条約をさらにすすめようとしていることによって、アメリカの大統領が間違えた判断をしてどこかでバカな戦争をするときに、日本人はそこにいっしょにいって血を流すことになる。それがいまやられようとしている政治だと私は思います。

戦後、日本人はいろんなことがあったけれども、この五六年間にわたって、一人の戦死者も出していません。戦争に関係のある死者というのはなくはありませんけれども、すくなくとも戦死公報が来るような戦死者は一人も出ていない。なぜか。憲法九条があったからです。でもこのままでいったならば、私たち――私は女ですし七〇歳ですから例にはなりませんが――の孫の世代の子たちが、自分たちにとって関係のない、しかもまったく理由もわからないような戦争にかり出されて、また別なる新たな戦死者をうむという可能性が非常に大きくなってきているのが昨今の政治ではないかと私は思っています。

それで、私はまず日本がやるべきことは、あらゆる国と平和条約を結びたい。いっさいの軍事条約はやめたらいいです。それから武器をとって殺しあうことで解決をした問題がありますか。アメリカで訪ねたミッドウェー海戦の戦死者のお父さんは、二三歳の一人息子を失っていて、九六歳ぐらいのときに、ちょうど二〇年前に会いましたけれども、「戦争に勝者はいない。両方の側が何年もかかってその傷害を乗り越えていくのだ」と語っておられました。まったくそうだと思います。武器は何をも解決しない。戦争は何も解決しない。殺し合いをしてどうするのですか。私たちは限られた命の時間しかないんですから。

そういう意味で、私はたとえば朝鮮民主主義人民共和国とも大韓民国とも平和条約を結ぶ、アメリカとも戦わないという平和条約を結ぶ。ロシアとも結ぶ、中国とも結ぶ、すべて国なるものと平和条約を結んで、われわれは現在の憲法を守り抜き、そしてとくに九条を大切にし、いっさいの戦力を放棄するというその旗をきっちり掲げるべきではないでしょうか。

その中から初めて、平和でなければできないこと、教育の問題もそうですし、福祉の問題も老人介護もそうです。それから日本だけではなくて、発展途上国の乳幼児の簡単な病気や栄養失調で死んでいく子どもたち、内戦の犠牲になって死んでいく子どもたち、地雷に触れて死んでいく子どもたち、それから識字率が低くて一生涯読み書きができないような――これは大人を含めなければならないのですが――そういう人たちのために日本が役に立つ。そのためにもお金がいりますけれども、そんなお金は軍事費をカットしたら簡単に出てきます。おつりがきますよね。

私は、日本は人類が未来に向かって達成したい理想として人々が思い描く夢というべき立派な憲法をもっている。でも現実には、自衛隊はさまざまな名称で選挙民をごまかしながら――これを憲法に違反しないという自信があったら、最初から自衛隊と言ったと思うけれども――自衛隊になり、世界有数の軍事力になるまでに約五〇年かかったわけです。それぐらい憲法というものは侵しがたいものをもっていたのですね。いまその垣根を取っ払おうとしていると私は思います。ともかく、既成事実としてできてしまった自衛隊があるから、世論調査を見ると自衛隊を認めるという声があがってくる。日本人はやはり既成事実に対して弱いのよね。でも私はこう思うんです。まず、今私たちに必要なのは、それぞれ組織に所属しているかもしれないけれども、その中にいて、私はこう考える、こう判断しこういう意見が私の意思である、ということをおたがいが確認することです。だって一人の「個」という以上に小さい存在はないじゃないですか。一人ひとりが私はこう考える、私はこの憲法、この堕落した政治家によって憲法が変えられることなどとんでもないという意思をはっきりもち、おりあるごとに発表していけば、私は変えられることを防げると思います。

さらに既成事実としてふくれあがった自衛隊をどうするか、私の案はこういうことです。日本だけではなくて、世界中に自然災害その他の救助を必要とする事態が起きる可能性がありますね。そしたら、税金によって全部まかなえばいいのですが、よく訓練されて健康で、しかもそれそれぞれの国の習慣とか言葉というものにも練達した緊急救助隊になるよう自衛隊を変えたらいいではないですか。そのことに税金が使われることに誰も反対しません。それからその人たちが出かけていくときには丸腰で行くんです。命を助けにきた人たちを殺すような人はごく少数です。丸腰でいくことに意味があります。自衛隊はもっと縮小して、いらなくする。武器なんかは軍事産業を設けさせているだけで、古くなったら使わなければならないから戦争が起きるんだと私は思うの。

だから国際救助隊として、どこかで、地球の果てでも何かが起きて援助が必要という時にただちに各分野の専門家、たとえば心理学的な医者もいるかもしれませんけれども、それぐらいの知恵は私たちもっているではありませんか。必要なものを全部そろえ、医療品も全部そろえて即座に飛行機を飛ばせて、あるいはヘリコプターでそこへ行って救助をする。これは日本国内でたとえば地震が発生したときもそうですね。

そういうものに私は自衛隊を変えていきたいんです。変えることは可能だと思います。五〇年かけてここまできてしまったものを、一朝一夕のうちに全部きれいに変えるということはなかなか大変ですけれども、私たちがこの道を選ぶと考え、そう考える人たちが主権者の中に一人でも増えていったら変わらざるをえないんですね。時間をかけて自衛隊の質的な解体をしたい。そのことによって自衛隊という名前にするのか国際救援隊とするのかわかりませんけれど、よくなるだろうと私は思います。それが私の理想です。

さらに戦争体験を若い人に語り伝えようとするたくさんの努力がされてきましたけれども、話をすると「生まれていませーん」と若い人たちはとっても嬉しそうに言うのよね。だから「私だってその頃は子どもよ」と言うのですけれども、私たちはいずれ何年か後に死んでいくけれども、でもいまの赤ちゃんたち、あるいはこれから生まれてくる子どもたちは、二十一世紀、さらにはその先の世紀を生きていかなければならない命です。人間だけでなく、命あるすべてが、やはり平和な地球で命永らえるような状態でありたい。

つまり、未来に向かって人類はどう生きていくか、というときに戦争があっては地球にはいい答えはありません。破滅しか答えはないと私は思います。だから未来の子どもたち、未来に六六〇兆を越す大赤字を背負っているこの国を引き継ぐ子どもたちに本当にすまないと思いますが、その子どもたちの未来のためにも、そしてそれが世界中の子ともたちのためにもなると私は思うのね。

そのためにも私たちは九条をしっかり、ごまかしで自衛隊との関係はどうなるかということを言わずに、九条を日本語の解釈どおりに解釈をして、考えて憲法を守っていきたい。これは一人ひとりがきっちりと意思をもって守っていかないかぎりずたずたにされます。沖縄問題の解決もその中に含まれます。おたがいがかかえているさまざまな問題もその中に含まれていて、答えは平和しかないです。平和にするためには、武器も軍事条約もいらない。憲法を変える必要もない。

今日、これだけの人が集まって、お互いに思いはいろんなところで違ったリしながら、しかしきょうここに来るということにおいては私たちは一致をしているわけではありませんか。その一致しているものを大切に守って生きていきたいと思います。

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