2000年5月3日憲法集会

角田由紀子

今日の会は、私のほうでもずいぶん前からぜひ話をさせてほしいと思っていました。「私と憲法のひろば」に参加したのは今回が初めてですが、駅からこの建物に来たときに、入口に行列があったので、これは江戸博の「葵三代」の展示のほうかと思ってしまったくらいで、憲法の問題の集会で入口に行列を作るというのは、私は生まれて初めての経験です。そのことがいまの状況がどんなにきびしいかを表していることでもあると思います。

私自身の「私と憲法」についてですが、私は憲法よりも年上です。会場には憲法よりも年上の人もかなりいると思いますし、それがいまの憲法状況を表していると思います。考えてみたら、私の人生は憲法とともに今日まで来ているのではないかという気がします。第一、いまの憲法がなければ、私はここに、たとえば弁護士という職業人として皆さんの前でお話をすることはなかったと思います。六法全書を開いて、特に憲法の人権保障の規定をパラパラと見ただけでも、たとえば十三条の幸福追求権、基本的人権の保障の中でもいちばん大事だとされている十三条、あるいは十四条の性差別の禁止、あるいは十五条の参政権、十九条の思想良心の自由であるとか、さらには二十二条の職業選択の自由、そして二十六条の教育を受ける権利、その他、その他です。

非常にたくさんの、憲法が保障してくれた権利とともに私が育ってきたから、私はいまこういうふうにモノを考えたり、発言することが出来るのだとしみじみ思います。

私たちよりも前の世代の女性たち、明治憲法のもとで人間として生きるということ、ほんとうにささいな、あまり大げさなものではないと思うのですが、人間として生きる権利が奪われていた女性たちが大勢いたということを思わずにはいられません。祖母の時代、母の時代の女性たちの生活と、この憲法のもとで、私が生きてきたいまの女性たちの生活とは根本的に違うということを思います。

明治憲法の時代は性差別こそが公序、社会のルールだった。さらにその体制のもとでたとえば結婚した女性は、法的な無能力者とされるという制度だったのです。そういう時代に生きた女性たちのことを考えると、いま私がここにこうしているということは、どれだけ憲法の恩恵というと妙かもしれませんが、この憲法が私に与えてくれたものだということを思わずにはいられません。

いまの女性としての私が享受している状況は、祖母たち、母たちの歯軋り、悔しさ、恨み、そういうもののうえに成り立っているんだということを痛感しております。そういう状況をふまえて、ではいまの憲法改悪の動きにどう対抗していくのかということについて、女性の人権という視点で少し話をさせていただきたいと思っています。

ちょうど、昨日、参議院の憲法調査会に、当時の起草に関わったアメリカ人の方が呼ばれて発言されていました。その中で、女性の権利に関わって起草されたベアテ・シロタ・ゴードンさんが発言されました。その彼女にたいする質問の中で、保守党の扇千景さんが「憲法施行後、日本の女性のいいところが失われた」と切りだしているのです。私はこれを読んで、「いい」とか「悪い」とかは、なにか基準を持ってきて、その基準にあわせて判断するわけですね。「いい」というのはいったい誰にとっていいのかと思ってしまったのです。つまり「いいところ」と言われているところは、実は女性の絶対的な無権利の上に成り立っている仕組みだったわけです。もっと言わしていただければ、扇千景さんは女性ですね。彼女がお飾りといっては怒られるかも知れませんが、ともかくも保守党という党の党首であるということ事態がいまの憲法がなければありえなかったことではないかと思います。

いまの憲法状況の中で、ほんとうはまやかしですが、分かりやすいこと、改憲論者が持ち出す押しつけ論というのがあります。それに対して、起草に直接関わったゴードンさんがたいへん明確な反論をされていました。押しつけられたかどうかという問題と、中身がいいのか、悪いのか、人間としていきていくために本当に必要なことなのかどうかということは、まったく別の問題だと思います。条文そのものを書くという作業は、連合国主導で行われたかもしれないけれども、これはゴードンさんも言っていますが、彼らが書いたとしても、その中身を与え、肉付けしていったのは私たちこの国に住む人間がやったことだと思います。

押しつけ論が非常に場当たり的だと思ったのは、押しつけはすべて悪いとは言わない。もしそういうのなら、この前の周辺事態法っていったいなんなの。もっと言えば、安保条約っていったいなんなのと言いたくなります。そういう時は押しつけはダメだという話はでてこない。それは非常におかしいのではないかと思います。

そして日本の社会の中では、周辺事態法案にたいしても正確な言い方をしない。たとえばガイドライン法案という言い方をする。ガイドラインのは、なにかについてのガイドラインであって、単なるガイドラインというのは存在しない。いま女性に耳慣れているものでは、たとえばセクシャルハラスメントを防止するための均等法二十一条というのができた。その中身を具体的にどうするかということで、労働省が作ったのが、均等法二十一条を実施するためのガイドラインとなる。ところが押しつけ論者がいっているガイドラインというのは不正確です。正確にいえば「戦争参加のためのガイドライン」と言わなければならないと私は思います。前半の「戦争参加のための」が削られている。これはひどい話だと思ったのは、これが発表された時にたまたま英字新聞のジャパンタイムズを見たのです。そしたら一面の見出しに戦争マニュアルができた、ウォー・マニュアルと書いてある。私は真面目にびっくりして、心臓がとまりそうな思いがしたのです。びっくり仰天して、同時にとっている朝日新聞の一面から二面、ぜんぶひっくりかえして見たけれども、どこにも戦争マニュアルという言葉がなくて、ガイドラインと書いてある。読んでいくと同じ話だということは私もさすがにわかったのですが、こういうふうにして、「押しつけ、押しつけ」と言っている人たちの本当のところを私たちがきちんと見破っていかなければいけないのですし、またそのことがきちんと報道されるということがなければいけないのではないかと思います。

それでこの押しつけ論に対して、昨日、ゴードンさんがどんなふうに答えたか。彼女は「日本国憲法はアメリカ憲法より進んでいる」という。実際、そうなのです。ご存じかと思いますが、アメリカ合衆国憲法には女性差別禁止条項が入っていません。それから人種差別禁止条項も入っていません。私たちの憲法十四条はこのふたつを含んでいます。アメリカではどういうことが起きたかというと、人種差別を撤廃するために長い長い闘いがあって、六十年代に憲法より下位の法律として、市民的権利に関する法律が出来ました。あるいはその中で性差別禁止も入ってきますが、性差別禁止条項を憲法にいれようというアメリカの女性たちの運動がありました。これは平等条項を憲法に加えるという運動でしたが、アメリカでは七十年代の半ばに失敗してしまいました。

それでゴードンさんが昨日、おっしゃったのは「自分のものよりよいものを他人に押しつけたりしますか」ということです。「押しつける」という日本語の意味を、ゴードンさんはよくご存じなのです。いやなことだから人に押しつけるというのです。するとこの押しつけ論というのは非常におかしい。

もうひとつ、ゴードンさんがお話になっていることは、とりわけこの憲法について日本の女性たちは歓迎していると言っている。九条も変えるのではなく、世界に広めていくことが必要なのではないかと、おっしゃっている。

いま押しつけ論にはじまって、いま「憲法改正」の議論で大きく問題になっているのは、九条の問題です。ところがたとえば憲法十四条を廃止しろという意見はない。それは性差別の時代にもどせということです。いずれでてくるかも知れませんし、調査会でチラッ言った方がいました。いまはフェミニズムとかなんとかがうるさいので、それはこの次にして、とりあえず九条からいくんだとおっしゃっている方もいましたが、でも、たとえば十四条の性差別条項を廃止しろといえないのはどういうことだろうか。

もうひとつ、憲法調査会ができましたが、いま憲法に関してなにか「調査」ということをする必要があるとすればどういうことか。憲法に定められている私たちの権利の規定が五十三年間にどれだけ実現されてきたかということ、もし調査をしたいのであれば、これをしなければいけないことだと私は思います。

その問題について、たとえば今日の私のテーマである女性の人権や性差別の問題に即してお話をすれば、この五十三年間、出発の時点では日本の女性の権利はゼロと言ってもいい状態でした。ゴードンさんもそう言っています。日本の女性には何の権利もなかったので、あまりにもひどいとおもった。それで自分はできるだけいいものを日本の女性たちのために書きたいと思って、アメリカの憲法はもちろん、ヨーロッパの憲法やいろんな憲法を図書館を走り回って探しだして、これだけはどうしても日本の女性に手渡したいというものを書いたとおっしゃっています。その大部分は削られて、彼女が起案したので残ったのは二十四条だけでした。でもその思いはいろんなところに間接的に分散している。

この五十三年間をふりかえってみますと、すくなくとも性差別禁止が公の秩序である、社会のルールであるということを表向きには認めざるをえないというところまで来ています。この憲法がない時代には、性差別をすることが社会のルールであるということが、公にも、私的にも言われていた。それは非常に大きな違いです。このことはすでに六十年代に、さすがの日本の裁判所も結婚退職が無効であるという判決をするなかで、そういう言葉を使って認めている。

ゴードンさんは五月一日のNHKの浅野インタビューで「私が憲法に託した理念が日本の女性たちの力によって確実に根付いてきている。そのことがたいへんうれしい」と言っていた。いろんな面で、日本の女性たちの権利は根付いてきている。もちろん、達成されていない部分もたくさんある、でも、いくつか具体的な例をあげて、私たちはここまできたということを自信をもって言えると思っています。

そのことと九条をめぐる状況の大きな違いはどこか。つまりいまの状況の中では「反九条」状況がしっかりと作り上げられてしまっている。ひとつには性差別をめぐる状況と、九条をめぐる状況の違いの基本的な点は、この憲法が書かれた時に世界中で軍隊をもたない国はほとんどなかったということです。いまもそうですが。ですから戦争をする軍隊を持つことのほうが正しいという考えがあった。ところが女性の人権については、女だからといって性差別をすることが正しいということは一九四五年はともかく、二ゼロゼロゼロ年のいまは誰も言えない。心の中で思っている男性の議員もいるかも知れないですが、やはり公のところでは言えないし、口を滑らしてもあれは失言だとすら弁解するのも許されない状況、それは非常に大きな違いだと思うのです。この違いがどういうふうにできてきたのか。

ひとつは国際的な状況の違いは非常に大きいと思います。女性の人権をより確かなものにするという方向に基本的には動いてきている。ところが戦争をめぐる問題の状況は、行きつ、戻りつで、常に世界のどこかで戦争があったこの五十三年だった。

たとえば十四条、その他もろもろの女性の権利を確実なものにする憲法の条項について考えると、条文として書かれている言葉に、命を吹き込んで、肉付けをして、少々ゆさぶられてもびくともしない、そういう実態をつくるということが大切だと思うのです。

単なる護憲を超えなければいけないと、私は思っています。「憲法を護る」という言葉では言い表わせないものがある。何を護るのか、護る実態を私たちがきちんと作りえていなければ、憲法を護ろうといっても、聞かされたほうは、「いったい何を守るの、それが護るに値するかけがえのない価値かどうか」がはっきりとわからないわけです。だから大事なことは、単なる護憲を超えて揺るぎないものを、憲法のそれぞれの条文の中身として与えることでないかと思います。わたしたちがこの五十三年間にどれだけしっかりとつくりえてきたのかどうかという問題ではないかと思います。

少々、ゆさぶられてもうごかないぞというものになっているのか、少々ゆさぶられればふと転んでしまうようなものだったかどうかということが非常に大きいと思います。

女性の人権に話を絞って考えますと、こういう女性の人権に関する作業は女性が中心になって、営々と担ってきて、ここまできたと思います。ごく最近のことをとってみても、たとえば八五年に男女雇用機会均等法が最初にできました。あの法律は、突然、政府が作ってくれてできたのではなくて、それよりか前の時代に、実は女性たちが営々と裁判その他を闘って、結婚退職というのはどんなに「結婚退職をします」という書面にサインをしていても、そんな契約は無効だ、性差別をしないことがこの社会のルールなんだということを、女性たちが日常の生活と活動の中で、作り上げてきた。それをいくつか裁判を重ねることで、裁判所が認めた。たくさんの裁判例が重なってきたものですから、さすがに政府は後追い的に最低のものを認めざるをえなかった。そうしてたとえば均等法ができた。これが九九年にさらに改善されたものになりました。

たとえば私が割合具体的にかかわってきたセクシャルハラスメントの問題についても昨年、法律が改正されたということで、具体的な問題になりました。これも突然、出来たのではなくて、この十年間、女性たちが裁判、その他いろんな方法で、セクシャルハラスメントは性差別だということで、具体的にただお念仏を唱えるのではなくて、自分で生活しているその場所で闘ってきたという成果です。さらに性暴力の問題、性暴力の被害者の権利の問題も、ようやく新聞のちゃんとした場所にしかるべきスペースを占めるようになってきたのですが、これもこの十年以上、当事者の女性たちが中心になって闘ってきた成果です。待っていて、誰も「あら、あなた、そういう権利がなくてかわいそうね」と言ってくれる人はいない。全部、自分たちで闘いとってきた。

たとえばいま国会にかかっていますが、刑事訴訟法を改正して、強姦罪の告訴期間も六ヵ月というのはあまりに不当だから、撤廃しようということになりました。これだって、それに関係した女性たちが、こんな法律制度はおかしいじゃないか、女性が司法にアクセスさせないための制度ではないかという議論を展開して、ついに法律改正にまでもってきた。

さらにドメスティック・バイオレンスの問題もある。たいへん身近な暴力です。これについてようやく政府は昨年、調査をした。そしたらなんと二十人に一人が命の危険を感じる暴力を体験したということが、政府の調査ででてこざるをえない状況なわけです。

さまざまな形で具体的な問題を申し上げましたが、女性たちがこのような行動をとれた後ろ盾になったのは憲法でした。たとえば一九八九年に最初のセクシャルハラスメントの裁判を福岡地裁に起こしましたが、その時は日本でセクシャルハラスメントという言葉はとても馴染みがなかった。だいたいそれをした人は、被害をうけた人に損害賠償をするような法律上の義務があるとは誰も考えていなかった。その時に、私たちは裁判所に向ってどういう議論をして、裁判所を説得したかということです。つまり、あの場合は労働の場でしたから、セクシャルハラスメントというのは働く女性に加えられた明確な性差別だということを言った。そうすると憲法十四条が性差別を禁止している。憲法が禁止している行為をするということは、当然、人権侵害行為だということになる。ここまでくればもはや議論の余地はない。

そんなふうに憲法を後ろ盾にして、憲法が保障したの権利に帰って、具体的な問題解決を闘ってきたと思います。こういう具体的な動きが、憲法の保障した権利をしっかりと肉付けしたと思います。だから具体的な問題解決とと憲法との間の円環運動といいますか、憲法も強くなるし、私たちも強くなる、やったりとったりの循環運動の中で女性の権利は確かなものになってきたのではないかと思っています。

もちろん、この十年間の動きのなかで、日本のそういう動きが可能になったのは非常に大きな国際的な女性の人権をめぐる動きがあったのは確かです。それと呼応しながら、日本のなかで私たちはいろんな運動を進めてきたわけですけれども、その時に本当にゆるぎない後ろ盾として憲法がありました。憲法十四条がもしなければ、私たちはこの状況にまだ到達することは出来なかったのではないかと思います。

いま日本の政府も自ら調査をして、暴力の被害にあった女性が多いということを認めている。これから女性にたいする暴力をどうなくしていくかということは、政府にとっても大きな課題になるはずですごぞんじのように昨年六月にできました男女共同参画社会基本法という法律で、そのはじめのほうで政府は「男女共同参画社会の実現を二十一世紀のわが国社会を決定する最重要課題と位置付ける」と言っている。そういう政府の姿勢と、女性にたいする暴力を根絶しなければいけない、そのために必要なことはたくさんあるのだということを考えると、そのために重要なもののひとつが暴力否定の思想を根付かせることだと思います。最大の暴力はなにか。いうまでもなく戦争です。ボスニア・ヘルツゴビナの戦争のいわゆる民族浄化作戦の中で、強姦がその手段に使われたということはまだ覚えていると思います。

もっと私たちに直接関係しているものとしては、第二次大戦中の日本軍によるアジアの女性たちに対する性奴隷化の問題も未解決です。これは戦争と女性を暴力的に扱うことの関係です。女性を暴力的に扱うということは、つまり人権の主体である人間として扱わないということです。このことをたくさんの兵士たちに体験させることによって、ただの男だった人を殺人ができる人間に作りかえていくという働きを具体的にしている。つまり人を人と思わない実践を女性を材料にして進めてきたということです。

この問題は戦争が行われた現場だけではなく、たとえば沖縄のアメリカ軍の基地の周辺で常に起きる強姦の問題とか買春の問題に深く関わっていると思います。暴力の極致である戦争を肯定するということは、いままで女性たちが五十三年間、積み上げてきた「女は人間である」というあたりまえのことを実体化してきた成果を否定することになる。

私たちはかつて、もう少し前の時代に言われたように「女は母となる。母として戦争に反対する」ということではありません。女性が人間であることをまっとうするために戦争に反対するという思想を持ちたいと思うのです。五十三年たって、私たちはいまその地平まで来ているのではないかと思います。

九条の平和主義の中身をどうするかということ、まだいまから十分、間に合う問題だと思っています。いそがなければならない問題ですが。私たちが積み上げてきた女性の人権確立の闘いは、平和主義の中身を作り上げていくものとは、一連のものとなりうるし、そうでなければいけないと思います。

現段階では残念ながら敵のほうがちよっと勝っていますが、これに反撃をくわえていくことができると思います。ゴードンさんのことをな話しましたが、女性の権利を憲法に書き込んでくれたのはアメリカ人の若い女性でした。はじめから日本の女性の権利は国際的な連帯のひろがりの中にあったと思います。そしてこの十年の動きはそれをさらに確かなものにしている。。国境を超えて、人間としての価値、尊厳をたしかなものにしていくという動きを、私たちは手にしているのではないかと思います。そのことをやってきたという自信を持ちたいと思います。

最後に、これは小さな女性のある企業が「女のこよみ」という、毎年女性たちを十二人選んで先輩の女性たちを顕彰するという、カレンダーひとつにしたものがあります。はじめにこういうことが書かれています。

私がわたしであることをたからかに歌いながら、道を開いてくれた女たちへ、愛と感謝をこめて。

女たちが連なっていき、作ってきた歴史のしっぽに私たち、いま生きている女たちがいる。

私はあとから来る女たち、そしてもちろん男性にも、より人間らしい生が実現できるよう、そういう社会を手渡していきたいと今日、あらためて思っています。

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