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高田 健
自民党新憲法起草委員会(森喜朗委員長)は10月28日、来る結党50周年大会(11月22日)で採択する「新憲法案」をまとめ、党政審・総務会で了承された。この新憲法案は8月1日に発表された「第1次案」に「前文」部分を付加し、「9条」部分については再度書きあらためたものである。
「新憲法案」の「前文」では「国を愛する責務を共有する国民」という極めて復古主義的立場を導入し、「9条」では第1項を残すとしながらも第2項を全面的に書き変え、国の平和と独立、安全の確保のための「自衛軍を保持」し、戦争を合憲化して、「国際社会の安全確保」と「緊急時の秩序」のために国の内外で軍事的行動をすることを明確にした。
今回の「新憲法案」は、これらに加えて、従来の案でうち出された「第3章」の「国民の権利及び義務」に関する部分で、憲法の意味・意義を転倒させ、近代立憲主義原理を否定しようとする立場と、「第96条」の憲法改正条項を大きく緩和させ、自民党がめざす今後の国作りのために憲法改悪をいっそう容易にしようとする立場などが示されている。
新憲法草案は憲法「改正」という形ではなく、「新憲法案」という全面改憲案の形をとっているが、「前文」を全面的に書き変えたほかは、上記の「9条」「第3章」「96条」の改変にとどまっている。にもかかわらず「新憲法案」としている意味は、ひとつには自民党の中に根強い「押しつけ憲法論」「自主憲法制定論」など現行憲法の「正当性」に対する疑問の反映としてのものであり、いまひとつは歴史的な危機に直面する日本社会にたいする自民党の側からの全面的な社会改革・革命綱領としての位置づけを持たせようとするものであり、党創立50周年という区切りにおいて自民党としての独自性を持ったものを示そうとしているからに他ならない。
同時に上記の指摘と一見矛盾することであるが、今回発表された草案の「前文」部分にはっきりと現れているように、公明党や民主党など他の政党との妥協による改憲案づくりを意識し、4月4日に発表された「小委員会要綱」や、7月7日に発表された「新憲法試案要綱第一次試案」よりも「自民党らしい」復古主義的立場を薄めるよう一定の配慮がなされていることが特徴でもある。これは自民党とその支持基盤層に存在する復古主義的・国家主義的傾向、ナショナリズムに配慮し、その「独自性」を一定程度許容しながら、なおかつ民主党などの決定的反発を買わないように配慮することで、今後の改憲案調整作業に道を開けることを狙ったものである。これらの点については当然、党内の両側に不満が残るのも避けがたく、正式に採択する大会の前後や、将来、改憲発議のための案文づくりの際に問題が噴出することも十分にあり得ることである。
ともあれ、この自民党新憲法案は私たちが指摘してきたように、「欧米列強並に『戦争のできる国』となることをめざす」ものであり、「ナショナリズムとグローバリズムの結合による『戦争をする国』づくりをめざす」ものであり、「新たな歴史反動」の綱領案であるといわなければならない。
なお、第3章以下は自民党が8月1日に発表した「新憲法第1次案」と基本的には同じであり、その検討は、時間の都合で筆者が8月3日に発表した「欧米列強並に『戦争のできる国』となることをめざす自民党改憲草案」を添付することで代替することをお許しいただきたい。但し、「新しい人権」に関する項は大幅に書き加えられているので、この検討は本稿においても書き加えることにする。
新憲法案はその冒頭でことさらに「自らの意思と決意に基づき……新しい憲法を制定する」と述べ、自民党結党以来の自主憲法制定論を継承し、事実上、現行憲法を否定する立場をとっている。今日までの58年間、最高法規として定着してきた現行憲法を自主憲法制定論の立場から否定することは、その歴史の大半において政権政党の立場にあった自民党にとって「天に唾する所行である」ことはいうまでもない。
また現行憲法前文には記述がない天皇制について「象徴天皇制は、これを維持する」と言及している。これはことある毎に天皇制を強化しようとする国家主義的傾向の表れであり、他の改憲条項、たとえば「自衛軍」規定の導入や、国民の責務をさまざまな形で導入する動きと関連させて考えれば見逃すことはできない点である。
この「前文」は簡略化した形をとりながら、その実、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」として現行憲法が確認している過去の戦争に関する反省や、平和的生存権についての豊かで積極的な記述などを削除し、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則」を継承するなどとして、前文を獲得するにいたったわが国の戦争と軍国主義の歴史から切り離された、無味乾燥な表現にしている。
そして、現行憲法の理念とは両極にある「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有」するという記述を入れて、「国」を「愛」し、「自ら支え守る」「責務」を「共有」するという立場を明らかにした。このことによって、「帰属する国」への愛国主義を「国民」が「共有」すべき「責務」に位置づけ、「国民」の思想にしばりをかけようとしている。「社会」「愛情」「責任感」などという目くらましの言葉をちりばめながら、愛国心と国防を国民の責務であるという思想を導入し、現行憲法にも見られる「主権者国民による権力制限規範としての憲法」という近代立憲主義の思想を排除している。これは現行憲法の基本理念の否定であり、「われらは、これに反する一切の憲法……を排除する」とする憲法前文の規定に反する憲法の破壊であるといわねばならない。
また草案前文「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともに」「圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う」としているが、これは現行憲法の平和主義と平和的生存権の規定と似て非なるものである。筆者はこの点を従来から指摘してきたのであるが、こうした草案前文の規定に草案の「第9条の2」として付加された規定、「自衛軍は……国際社会の平和と安全を確保するために国際的に行われる活動」を行うという規定が結合されるなら、「この論理はアフガンやイラクを一方的に攻撃したブッシュ米国大統領の『先制攻撃戦略』と同一のものとなる」(高田「要綱第一次素案批判」)のは明らかである。だれがどの国を「圧政や人権侵害」の社会であると断定するというのか。9条2項を放棄して武装した世界有数の軍事力を持つ国家が、国際社会の信頼を得ることができるのか。この日本国家が「国際社会において、他国とともに」「圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う」ことを憲法前文に書き込み、世界的範囲で『圧政や人権抑圧を根絶する』ために、米国あるいはそれを含む多国籍軍とともに日本の軍事力を行使することを宣言していることの傲慢さ、危険さは強調して余りあるものである。
今回の新憲法案は、現行憲法の9条第2項をまったく否定し、その「戦力不保持」と「交戦権の否認」原則を削除し、国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため……自衛軍を保持する」として国家防衛戦争を規定した。このほか、自衛軍の活動目的を国際協調のもとでの「国際社会の平和と安全の確保」=海外での軍事活動、及び「緊急事態における(国内の)公共の秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動(治安出動)を行うことができる」とした。(2)第1項についても「第1次案」は改変していたが、従来、自民党が主張してきた「第1項は維持する」との立場に戻り、第2章の名称の「戦争の放棄」を「安全保障」に書き変える点は継承した。
米国や財界などが一貫して要求してきた「集団的自衛権の行使」については、改憲勢力の中でも十分な一致がまだないこともあり、憲法条文に記述することを避けた。しかし、これは「自衛軍の保持」を明記したことで「自衛には個別(的自衛権)も集団(的自衛権)も含まれる。その議論は終わった」(自民党新憲法起草委員会舛添要一事務局次長)という理解を前提にしているにすぎないのである。
自民党の念願であった自衛「軍」の保持を明記することで、憲法違反の自衛隊を不当な解釈改憲によって作りだし、強大化させてきたという違憲状態の解消を実現しようとしている。憲法で自衛軍の存在とそれによる国際協力などを合憲化すれば、米国によるイラクへの先制攻撃が「防衛戦争」と称されている例に明らかなように、現代における全ての侵略戦争は国家・国民のための「防衛戦争」として位置づけられ、遂行されているのであるから、まさにあらゆる意味で日本は「戦争のできる国」となるのである。さらに自衛軍の活動目的に「緊急事態における(国内の)公共の秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動(治安出動)を行うことができる」としたのは、「内乱」鎮圧 はもとより、反政府活動一般、自立的な市民運動一般に敵対することになりかねない条項でもあり、「公共の秩序」の名の下に自衛隊を市民(日本社会に居住する日本国籍・外国籍などを問わず)に銃を向けることを可能にするための極めて危険な規定である。
先般(9月はじめ)の毎日新聞社の世論調査の結果を見てもわかるように、現行の平和憲法は日本社会に定着し、第9条の維持を望む声は全体で62%、20代では70%に達している。自民党はこの世論を恐れ、「1項も変える」として9条全体を否定した第2次案から揺り戻しをはかり、9条2項は変えるが「1項はそのままでよい」とした。筆者が第2次案の批判の際に指摘したように、「第1項は国際的にみても1928年のパリ不戦条約を起源にして、かなりの国々がこの条項と同様の文言を取り入れている。もとより、パリ不戦条約のもとでも自衛戦争は放棄されなかっただけでなく、自衛戦争の名による侵略戦争も繰り返されてきた。現行憲法の第9条が1項と2項を一体不可分のものとして、戦争放棄を規定したことにこそ、第9条の今日的な先進性がある」のである。
自民党新憲法草案によれば、現行憲法の最大の特徴であり、現代世界においても最も先進的で、輝きをもった憲法9条は無惨に改変され、否定されてしまうことになる。戦後60年、現行憲法の下で、歴代政権による解釈改憲という政策でズタズタにされながらも、なお集団的自衛権の行使に歯止めをかけ、海外における武力行使にくびきを架して、日本の軍隊が海外で殺し、殺されることを防いできた9条の歴史が、今回の自民党の新憲法案によって終わらせられようとしていることを絶対に許すことはできない。
草案は「第3章 国民の権利及び義務」の項の現行12条に対応させて「国民の責務」という項を設置した。そして現行12条が「又、国民はこれを濫用しては ならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としているところを、「国民はこれを濫用してはならないのであって、自由及び権利 には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」と書き換えた。現行の「公共の福祉」という用語は、いずれも国家主義的用語に連なる「公益及び公の秩序」に書き改められた。これが前述した9条改憲の思想と結びつけられる時、基本的人権は破壊に導かれるに違いない。8月2日の読売新聞社説はこれを積極的に評価して「自己中心の個人主義ではなく、本来、憲法が想定していた『責任ある個人主義』に基づいて、社会の存立の基盤を確かなものとする意図が読み取れる」などと述べた。
そしてさらにこれに関連して「内閣」の項の73条では「法律の委任がある場合…義務を課し、又は権利を制限する規定」を設けることができるとした。こう した「義務」規定の強調などの改変は単なる用語の変更にとどまるものではなく、近代立憲主義にもとづく権力制限規範としての憲法、「権力を制限する憲法」 という考え方から、「国民が守るべき憲法」「国民の責務を規定する憲法」という反動的な憲法思想への転換であり、自民党改憲派の長年の願望の表現である。 自民党はこの憲法思想の転換のために、「いたずらに国家と国民を対立させることなく」などという俗論を振りまいて立憲主義に対する攻撃をしてきた。
信教の自由に関連して草案20条では「国及び公共団体は、社会的儀礼の範囲内にある場合を除き、宗教教育その他の宗教活動をしてはならない」などとして、「社会的儀礼の範囲」を合憲とした。このことによって 首相の靖国神社参拝や、玉串料への公金支出等を合憲化し、「信教の自由」を制限しようとしている。
一方、8月の「第1次案」に大幅に書き加えたものとして、「知る権利」や「環境権」などのいわゆる「新しい権利」を5項目ほどつけ加え、これによって、民主党内の憲法論議や、公明党の「加憲」論との妥協を図り、改憲の世論づくりを進めやすくしようとはかっている。「知る権利」には「国の国政上の説明責任」、「環境権」では「国は、国民が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受することができるようその保全に努めなければならない」等とし、ほかに「個人情報を守る権利」「心身障害者と犯罪被害者の権利」「財産権、特に知的財産権」なども挿入した。しかし、これまでの議論で明らかにされているように、「環境基本法などに環境権の明記に反対」し、市民の「情報公開」要求に抵抗して「知る権利」を阻害し、「盗聴法」など個人情報を強制的に暴き、「障害者自立(自滅)促進法」で心身障害者の人権と生活を破壊してきた改憲派が、ただただ改憲の世論を誘導するために党利党略で「新しい人権」を語ることは許されないし、これら必要な人権は現行憲法のもとでの立法措置などでまったくカバーできる問題であるに過ぎないことを指摘すれば十分であろう。
第96条の憲法改正条項では、「この憲法の改正は…各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し」、国民投票の「過半数の賛成を必要とする」として、現行憲法の「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」という規定を大幅に緩和した。「過半数の賛成」で発議できるということは、最高法規としての憲法が国会の大勢 による合意ではなく、与党だけの賛成で発議できるということである。
自民党はこの条項を規定することで、今後の改憲に道を開こうとしている。「今回は、まず改正することに最大の意義がある」(8月2日「朝日新聞」桜井よしこ)というのである。与党・公明党や野党・民主党の合意が得られる情勢にないにもかかわらず、自民党がこの間、全面的な改憲案を提起しているのは、単に自民党の独自性を示そうとしているだけではない。自民党が描く当面の理想の国家像=憲法全容を示すことで、系統的にそれに向かって進む決意を示している。この時、96条の大幅な緩和は極めて重大な意義を持ってくるのである。
走り書きで、校正すらろくにできないまま、人前にだすのは誠に心苦しいものではある。とりあえず、運動仲間のみなさんの検討にいくらかでも役立てばと思い、無謀にも短時間の作業で発表する。本稿で指摘したこと以外にも、新憲法案の指摘すべき問題点は少なくないと思われる。特に今後研究者の方々による専門的な批判が試みられ、議論が深められ、学ばせていただけることを強く願うものである。
私たちの住んでいる日本社会が、現行憲法が示す不戦非武装・平和の思想と民主主義、基本的人権の保障を実現しつつ、より高次の人権・福祉社会をめざして、国際的な平和と共生を実現する道をあらためて選びとるのか、自民党新憲法草案の示すこの危険な戦争と人権破壊の道を選ぶのか、いま文字通り歴史的な岐路に立っているのである。
(2005年10月28日)
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