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高田 健
八月一日、自民党は初めて条文の形での改憲草案「新憲法第一次案」を発表した。筆者は自民党の改憲案については「たたき台」や「要綱素案」などの段階からくり返し批判してきたので、今回は要点の批判にとどめたい。
自民党による今回の改憲案の特徴をいくつかに絞って指摘すれば、第一に憲法第九条の全面的な改悪の方向を示したものであり、第二に「国民の権利」等に関する憲法の意味・意義を転倒させ、立憲主義原理を否定しようとするものであり、第三に第九六条の憲法改正条項を大きく緩和させ、自民党がめざす今後の国作りのために憲法改悪をいっそう容易にしようとするものである。
第一に指摘した憲法九条の改悪は、今回の新憲法第一次案の最も明確な特徴であり、そのことによって今日の自民党の改憲の究極の狙いがここにあることをはっきりと示したものとなった。その内容としては、(1)九条第二項をまったく否定し、その「戦力不保持」と「交戦権の否認」原則を削除し、自衛軍の保持を明記したこと。この自衛軍の活動目的を国の防衛=国家防衛戦争、国際協調のもとでの国際社会の平和・安全の確保=海外での軍事活動、国内の公共の秩序維持=治安出動の三点をあげた。(2)第一項についても、従来、自民党が主張してきた「第一項は維持する」との説明を覆し、戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は「永久にこれを放棄する」との条項を「永久に行わないこととする」と言い換えて「放棄」を削除した。そしてここに「国際社会の平和及び安全の確保」のために「主体的かつ積極的に寄与する」との宣言を挿入した。(3)米国や財界などが一貫して要求してきた「集団的自衛権の行使」の問題は、自衛軍の保持をうたったことで「自衛には個別も集団も含まれる。その議論は終わった」(自民党新憲法起草委員会舛添要一事務局次長)とした。(4)そして第二章の名称の「戦争の放棄」を「安全保障」に書き換え変質させようとしている。
自民党の念願であった自衛「軍」の保持を明記することで、憲法違反の自衛隊を不当な解釈改憲によって作りだし、強大化させてきたという違憲状態の解消を実現しようとしている。憲法で軍の存在を合憲化すれば、それが「自衛」のため、国、国家・国民の「防衛」のためだと説明されようとも、これは疑いなく現在の九条の戦力不保持の理念の完全な否定にほかならない。米国によるイラクへの先制攻撃が「防衛戦争」と称されているように、いうまでもなく現代における全ての侵略戦争は国家・国民のための防衛戦争として位置づけられ、遂行されているのである。自民党はこれを可能にする国を実現したいのであり、自衛軍の活動に「国際社会の平和・安全の確保」を明記しているのはまさにこのためである。さらに自衛軍の活動目的に「国内の公共の秩序維持」をあげているのは、内乱鎮圧はもとより、反政府活動一般に敵対する条項でもあり、「公共の秩序」の名の下に自衛隊を市民に銃を向けさせるための危険な規定である。
今日、各種の世論調査を見てもわかるように、平和憲法はかなりの程度、世論に定着し、第九条の維持を望む声は大きい。この間、自民党はこの世論を恐れ、姑息にも九条二項は変えるが「一項はそのままでよい」などと言ってきた。これは国際的にみても一九二八年のパリ不戦条約を起源にして、かなりの国々がこの条項と同様の文言は取り入れている。今回の改憲草案でも「平和主義の理念を崇高なものと認め…この理念を将来にわたり堅持する」との文言を入れ、この考え方を一応、踏襲した。もとより、パリ不戦条約のもとでも自衛戦争は放棄されなかっただけでなく、自衛戦争の名による侵略戦争も繰り返されてきた。しかし、やはりわが国の改憲派にとっては「戦争の放棄」という表現は我慢がならないのである。前述したように第九条一項に挿入された「国際社会の平和及び安全の確保」のために「主体的かつ積極的に寄与する」との宣言と併せ読めば、海外での武力行使を積極的に主張するものとなっており、極めて危険な内容に変質させられたものであることは明白だろう。現行憲法の第九条が一項と二項を一体不可分のものとして、戦争放棄を規定したことにこそ、第九条の今日的な先進性がある。
集団的自衛権の問題の自民党改憲草案の取り扱いは舛添の説明が全てを表現している。同党内にいくらかの不満は残っていることであろうが、大勢はこのやり方で決着である。海外での武力行使も含めて今後この具体化は「安全保障基本法」「国際協力基本法」「自衛軍法」(現行は自衛隊法)などで具体化のための諸条件を定めて行けばよいという考え方である。これらによって曲がりなりにも憲法の制約を受けてきた自衛隊の活動は、周辺事態はもとより、グローバルな規模において米軍との一体化した戦争遂行が合憲化され、限りない戦争の拡大に道が開かれることになる。たとえば今日のイラクにおいては英軍が果たしている役割と同等の軍事活動が展開されることになる。
こうして現行憲法の最大の特徴であり、現代世界においても先進的であり、輝きをもった憲法九条は無惨に改変され、否定されてしまうことになる。
草案は「第三章 国民の権利及び義務」の項の現行十二条に対応させて「国民の責務」という項を設置した。そして現行十二条が「又、国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としているところを、「国民はこれを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」と書き換えた。現行の「公共の福祉」という用語は、いずれも国家主義的用語に連なる「公益及び公の秩序」に書き改められた。これが前述した九条改憲の思想と結びつけられる時、基本的人権は破壊に導かれるに違いない。八月二日の読売新聞社説はこれを積極的に評価して「自己中心の個人主義ではなく、本来、憲法が想定していた『責任ある個人主義』に基づいて、社会の存立の基盤を確かなものとする意図が読み取れる」などと述べた。
そしてさらにこれに関連して「内閣」の項の七十三条では「法律の委任がある場合…義務を課し、又は権利を制限する規定」を設けることができるとした。こうした「義務」規定の強調などの改変は単なる用語の変更にとどまるものではなく、近代立憲主義にもとづく権力制限規範としての憲法、「権力を制限する憲法」という考え方から、「国民が守るべき憲法」「国民の責務を規定する憲法」という反動的な憲法思想への転換であり、自民党改憲派の長年の願望の表現である。自民党はこの憲法思想の転換のために、「いたずらに国家と国民を対立させることなく」などという俗論を振りまいて立憲主義に対する攻撃をしてきた。今回の改憲草案はこれを基本的には書き込んだ上で、九条改憲と直接につながる「国防の責務」や国家に奉仕する国づくりとしての「家庭保護の責務」等、新たな責務は先送りした。しかしこれも自民党のなかでは根強い要求であり、今後再浮上する可能性がある。またまた信教の自由に関連して草案二十条では「国及び公共団体は、社会的儀礼の範囲内にある場合を除き、宗教教育その他の宗教活動をしてはならない」などとして、「社会的儀礼の範囲」を除外した。このことによって首相の靖国神社参拝や、玉串料への公金支出等を合憲化し、「信教の自由」を制限しようとしている。
一方、この間とりざたされてきた「環境権」など「新しい人権」は今回の草案では触れられていないが、今後、改憲案の野党とのすりあわせの中で合意形成の隠し球として復活画企てられる可能性は濃厚である。
第九十六条の憲法改正条項では、「この憲法の改正は…各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し」、国民投票の「過半数の賛成を必要とする」として、現行の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という規定を大幅に緩和した。「過半数の賛成」で発議できるということは、最高法規としての憲法が国会の大勢による合意ではなく、与党だけの賛成で発議できるということである。
自民党はこの条項を規定することで、今後の改憲に道を開こうとしている。「今回は、まず改正することに最大の意義がある」(八月二日「朝日新聞」桜井よしこ)というのである。与党・公明党や野党・民主党の合意が得られる情勢にないにもかかわらず、自民党がこの間、全面的な改憲案を提起しているのは、単に自民党の独自性を示そうとしているだけではない。自民党が描く当面の理想の国家像=憲法全容を示すことで、系統的にそれにむかってすすむ決意を示しているのである。この時、九十六条の大幅な緩和は極めて重大な意義を持ってくるのである。
七月七日に出された自民党「新憲法要綱第一次素案」と比べると、今回の草案は中曽根康弘元首相が起草したという「前文」は外されている。このあまりに復古主義的前文をどのように取り扱うか、起草委員会での合意が成立しなかったことによる。しかし、この中曽根「前文」は、条文を完成し終えたら検討するという「前文」を含めて、今後とも自民党の改憲草案づくりに影響を与えていくことだろう。
又、この小論の前書きでも述べたように、指摘すべき問題点は他に少なくない。今後の議論のなかで批判が深められることを強く願うものである。
今回の自民党改憲草案を検討するにあたり、以下の点を自戒し、また注意を喚起しておかなくてはならないと考える。
それは自民党の改憲案が繰り返し装いを変えて発表され、またその前後に政財界の各方面から相次いで改憲案が出されてくるという情勢のなかで、私たち自身がこれらの改憲案に慣らされ、いささかでも怒りを失って来るようなことがあってはならないという点である。政権政党である自民党が現行憲法の核心というべき第九条の全面的な否定と、「自衛軍」の保持を公然と提起してきたこと自体が異常なことである。このことへの危機感と怒りが萎えて、あたかも当然視してしまうような錯覚に陥ってはならないし、この暴露の努力とこれを阻止するための準備と行動を絶対にゆるめてはならないと強く思う。
いまこの国は、今回自民党が提起した九条改憲の道を許し、戦争ができる国、戦争をする国への道を最後的に開け放ってしまうのかどうかの歴史的な岐路に立たされたのである。
(二〇〇五年八月三日)
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